intermezzo

死んでも忘れられない観劇をして生きたい

角田光代『タラント』中央公論新社 〜自分の行動の小ささを認識すること

角田光代『タラント』中央公論新社

主人公・みのりは勤め先の洋菓子店で働き、夫とふたり暮らしの家に帰って食事をともにする日常生活を送っている。ふとした時に目にした友人の執筆記事を気に留めながらも目を通さない様子から、彼女が何かから目を逸らして生きていることが窺える。みのりは何と向き合うことから逃げているのか?学生時代にみのりが友人たちと熱中する支援活動が描かれるにつれて、彼女が何か「誤った」行動をしたことで、現在は活動から距離を置いていることが明らかになる。

この本を手に取ったのは、主人公のみのりが何かを「あきらめた」方の人間だというところに共通点を見出したから。みのりと同じく、私は学生時代に熱中した活動とは何ら関係のない仕事をしており、そのことに仄かな後ろめたさを感じている。「あきらめた」というほど大きな決断がともなうわけではなく、ただ就職して以来は目の前のことをこなすのに精一杯で、重い腰を上げて新しいことにコミットすることができないだけなのだが。

みのりが「麦の会」という国際人道支援を行うサークルで、気の合う友人たちと活動に打ち込み、「自分は何がしたいのか?」という問いを抱えながら他者と関わりをもっていく様子には、自分の大学生活を思い出して胸が熱くなる感覚がある。そうだ、私もこんな風にして、異なる背景で育った人たちとの出会いを通じて、自分の無知具合に恥ずかしくなったり、思いが通じ合った瞬間の喜びを分かち合ったりしたのだった。その時の自分と今の自分が地続きに感じられず、だからこそ学生時代を振り返るのも怖いのかもしれない。

みのりは大学卒業後に小さな出版社に就職し、スタディツアーへの参加や翻訳シールを貼った絵本を送る活動を続けながら、海外での取材をおこなう玲と翔太に対してそれぞれに言い表しにくい疑問ともいうべき思いを抱いている。玲は誰かに影響されて行動し、なりゆきで取材をすることが多いという。翔太の写真をみると、翔太の見える世界には正義は一つしかないように感じられる。みのりはそのことが辛い。難民キャンプから子どもが抜け出す手助けをしたことが果たして正しかったのか。目の前の人の役に立てると思ってやった行いを消化できないみのりにとって、翔太の写真は片面からみた正義を突きつけるようなものだったのだろう。さらに、友人・ムーミンが命を落としたことを契機に、生き残るべきは自分ではなかった、という思いに囚われる。この辺りのことは噛み砕けていない感触があるので、また読み返して考えたい。

「信念があるから続けられるのか」というみのりの疑問には同意するところがある。私も重い腰を上げて何かをしたい気持ちがほんのりと心のなかにあるくせに、一歩踏み出す勇気がない。「自分にはそれほどの信念はない」「自分はそれに値しない」と自分が自分をジャッジしてしまうところがある。

何が正しいか分からないなかで、たまたまでも上手く行かなくてもよい、という心持ちになるには、自分ができること……いや、「できる」なんて烏滸がましくて、自分を含めて人ひとりのやることなんてほんの小さなことである、と認識することが必要なんじゃないかと思う。誰かのやっている立派にみえる行いも、自分がやっている一見すると大した意味をもっていない仕事も、どちらも大きさとしては小さなことだ。自分の行いが誰かに与える影響なんて、その後にその人がどんな行動をするかで簡単に意味が変わってしまう。その時々で、そうすべきだと思うことを行動に移すことが人の営みだ。

みのりの祖父の清美は、戦争から帰り、「なぜ自分が生き残ったのか」という思いを抱えた。自分の過去を誰かと共有することを拒み、ただ「何もしない」ことを選んだ。みのりが自分のやりたいことから目を逸らして生きてきた姿と、清美の姿は重ねられている。そのことが明らかになるのは作品の後の方になってからだ。傷付いたり、疲れたりして「何もしない」を選んでから、再び足を一歩踏み出すまでに、必要な年月は人それぞれだ。清美にとっては何十年の歳月が必要だった。みのりにとっては十年。陸にとっては一年。それぞれのペースで、心が赴いたときに動けるように、消耗した心を労る。簡単なようでいて難しいことだ。明かしていないだけで、隣にいる他人もそんな時間を過ごしているのかもしれない。そんな想像力を今まで働かせたことはないけれど、休みたがっている人が目の前にいたら、そうしたっていいということを少しだけでも伝えるサインがあればいいのに、と思う。

この作品は劇的な展開をするわけではない。現代のみのり、学生時代のみのり、戦争にいった清美の視点で代わる代わる物語が積み重ねられてゆく。もし、みのりの行動が誰かにとって大きな意味をもたらした、という風に物語が帰着したら、この作品の読み味はまったく変わっていただろう。決してそうならないところに、この作品の良さがあると思う。大きな意味を宿さない誠実さ。何事も重く考えすぎて、後から振り返ればどうでもよい小さなことにくよくよしてしまう自分にとって、小さな行動の積み重ねを描くこの作品は、自分の小ささを良い意味で認識させてくれる物語だ。