映画『Suffragette』(邦題:未来を花束にして)―当たり前なことこそ歴史的である

2017年1回目の映画鑑賞は映画『Suffragette』

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この作品が本国で公開された2015年秋の時点では日本公開は決まっていなかったけれど、下記の記事で存在を知って、公開されてほしいなと思っていた。

mephistopheles.hatenablog.com

2016年9月に公開決定が発表されてからずっと楽しみにしていて、その期待に違わず、すごく良かった。

公開まで時間はかかったけど、自分にとっては良いタイミングで観ることができた気がしているからとても幸運だと思う。

 

自分の話をすると、2016年はジェンダーフェミニズムを考えた年だった。

きっかけは色々あるから割愛するけど、「女らしさ/男らしさ」に囚われることからどうやって逃れられるんだろう、とか、現実に目の当たりにしてる性別間の不均衡ってどうして無くならないんだろうとか。

そういう気持ちで情報にアンテナを張るようになって、「これってどうなの?」って思った出来事に対するフェミニズム的視点からのツイートや記事を見たり、自分の考えたことを誰かに話したり。

そうすることを通じて知ったのは、自明に思われることは歴史的だ、ってことだ。

 

成人した年には、政治のことをよく分かってないけど張り切って選挙で投票して、それが特別なこととは少しも思わなかった。

だけど、そんな風に今では私にとって当たり前のことが、当たり前じゃなかった時代がある。

時代と言うと大昔みたいに聞こえるけど、日本ではおよそ70年前だから、今から遠くない地続きの頃だと思うと、なんというか実感がわかず驚かされる。

この作品はそんな私に有無を言わさず実感を生んで、当たり前じゃない状態への想像力を刺激してくれる。

 

『Suffragettte』の舞台は1912年、およそ100年前のイングランドで、キャリー・マリガン演じる主人公モード・ワッツは24歳。

モードには夫と息子がいる。幼い頃から洗濯女として工場で働いて主任を務めているけど、同じ工場で働く夫よりも低賃金。工場長はモードを多少「良くして」くれているように見えるけど、モードは彼から(おそらく働き始めた幼い頃から)セクハラを受け続けている。

同僚のヴァイオレットの誘いをきっかけに、女性参政権を求めるサフラジェットの運動を理解し、「自分にも他の生き方があるんじゃないか」という思いから運動に身を投じるようになる。

 

この映画を観ると、選挙で投票するほかにも、私にとって感覚的に当たり前のことが、いかに歴史的に成り立っていったかを痛感する。

たとえば、はじめは深入りしないつもりだったモードが積極的に運動に参加するようになって何度か逮捕されると、夫のジョージはモードを家から追い出して、息子と会わせないようにする。しまいには、モードに断りなく息子を養子にやってしまう。ジョージのやってることは今なら不当だけど、当時はそうじゃない。母親には父親と同等の親権がないから。

モード夫妻だけじゃない。活動のリーダー的存在の女性は逮捕された際、保釈金を払いに来た夫に対して、一緒に逮捕された仲間たちの分も保釈金を払ってほしい、と言う。けれど、活動に理解のあるはずの夫は払わずに彼女を連れ帰る。「私のお金よ」と彼女が言っているのに。自分のお金の使い方を夫に決められてしまう。

もっとも、これらのことは今でも起こりうる。そう思うと、自明なことなんて本当はないということに自覚的でいたいなと思う。

 

女性参政権運動には、彼女たちサフラジェットとは違って過激な手段には訴えずに活動する人も多かった。

だから、投石や爆破を繰り返したサフラジェットの行動を理解に苦しむとか、異常な集団としてしか評価しない向きもあるし、この映画を観てそう感じる人もいるかもしれない。

確かに、メリル・ストリープ演じる指導者エメリン・パンクハーストのカリスマ性はサフラジェットを熱狂をさせたし、手段の過激さそのものを称揚する必要はない。

だけど、それらの原動力である感情は正当なものだし、ここまでの行動に至らしめるほどだと理解できる。

私は観ている最中、自分と同じ年齢のモードの直面する現実の辛さに手が震えたし、怒りや悲しみに同調して涙が出た。

彼女たちの行動は、子供たちのような後の世代のためでもあるけど、何より自分自身のためだったはず。それだけの切実さが描かれている。(そう思うなら「未来を花束にして」なんて邦題や「百年後のあなたへ」なんてコピーは浮かばないと思うんだけど、本当にどうしてこうなったんだよ!)

女性だからこその生きづらさを少しでも感じたことのある人の方が、モードたちの感情や行動を理解しやすいと思うけど、そうでない人にもぜひ観て感想を教えてほしいなと思う。

 

サフラジェットのスローガンに"Deeds not words"(言葉ではなく行動で示せ)というものがある。

これは言葉に耳を傾けてすらもらえない状況を打破するためのスローガンで、言葉そのものを否定するわけではないと解釈していて、言葉にすることも行動の一つであると思う。

この映画を観て、すっごく良かったからできるだけ多くの人に観てほしい!と思い、自分の記憶に残したいのと誰かの目に留まってほしい気持ちの両方で、記事を書いておく。

 

サフラジェットの活動した時代には女性に参政権がないのが当たり前だったように、今は当たり前だと広く思われていることでも「それっておかしいよね?」と思う人が増えて、当たり前じゃなくなっていく。

それは自分にとって望ましい変化とは限らないけれど、なぜ自分がそう思うのかを考えるとき、歴史と向き合うことはその材料になるんじゃないだろうか。

そういう意味で、私にとってはこの作品は「女性映画」でもあるけれど、何より「歴史映画」だなと思う。

 

追記

前に日本語でサフラジェットについて調べたとき、ネットにはちょうどいい記事がなくて、論文や学術書のほかは英語版Wikipediaを読むしかない状態だったんだけど、映画公開にあわせてWikipediaの記事を翻訳してくださって、とても分かりやすくなりました。ありがとうございます!

サフラジェット - Wikipedia

d.hatena.ne.jp

あと、Googleで「サフラジェット」と検索しても『未来を花束にして』の公式ページが一向に出てこなくて(レビューとか感想はヒットする)、スニーカーのページとかが先に出てくるのが気になった。邦題について文句言うのが主旨じゃないんだけど、ちょっとこの状態はあまりにもどうかなと思う。もったいないです。